ローカルビジネスの最先端を走りたい

ビジネスプロデューサー

SHINTARO NUNOKAWA

2012年入社

ローカルビジネスの最先端を走りたい

ビジネスプロデューサー

SHINTARO NUNOKAWA

2012年入社

電通東日本に入社を決めた理由を教えてください

大学では社会学を学びながら、中学生のラグビーチームでコーチをしていました。自分がスポーツを通じて学んだことを伝えたい! という気持ちだったのですが、子どもたちをどう励ましたらいいのか? いかに伝えるか? に思い悩む中で、結局は人間同士の繋がりが子どもたちの成長につながり、その「成長」していく姿が周りの心を動かし、ひいては世の中を良い方向に変えていくのかもしれないと思うようになりました。人の成長に携わり、社会を変える仕事がしたい。そう考えながら就活に励む中、東日本大震災が発生しました。日本中で東北を応援する機運が生まれる中、自分も現地で働きたいという気持ちが生まれ、東北に支社がある電通東日本に入りました。

現在の仕事内容について教えてください

入社後1年間の研修を東京本社で受けた後、2年目には仙台支社でビジネスプロデューサー職(以下BP)配属となりました。地元のカーディーラーやお菓子メーカーをはじめとする企業を担当しながら、大手メーカーや地元新聞社が牽引する被災地復興活動のお手伝いをさせていただいた後、青森へ異動して6年が経ちます。
「青森を日本一元気なローカルにする!」をテーマに現地に溶け込んで活動する中で、青森が元々抱えていた課題も見えてきました。電通東日本のクリエーティブ力によって変わった潮目もあると思いますし、広告とは別の商品開発や販路の開拓によるレベニューシェアビジネスも展開してきました。地元の方々とともに、青森を盛り上げることにチャレンジしています!

今までで一番心に残っている仕事や、やりがいを感じたのはどんな時でしたか?

津軽の人たちは「じょっぱり」です。意地っ張りでありながらシャイな人柄。懐に入ってしまえば家族も同然のお付き合いをしてもらえますが、受け入れてもらうには時間がかかる。それを乗り越えて仲間にしてもらえた瞬間は、とても嬉しかったですね。心に残っているのは、弘前市のブランディングムービー制作です。新型コロナウイルスの影響で観光業が打撃を受けた弘前。その文化や美しい景色を発信する中で、地元の方々にとって当たり前すぎて気がつかなかった「冬があるから」というアイデンティティを見いだせたことは、今も心に残っています。「長くて厳しい冬があるから、熱が生まれる」。地元の方々と同じ目線を持つ自分たちが気づいた魅力を電通東日本として発信する、それは大きな醍醐味です。

出社・リモートの割合と、仕事スタイルを教えてください

基本的には毎日出社しています。出社した方が、営業所の皆とリアルなコミュニケーションが取れますし、クライアントとのミーティングも対面が主流となっています。
転勤の際、社宅が自分で選択できたので会社の徒歩圏内に住まいを借りています(引っ越し費用や準備金も会社が負担してくれ、大変助かりました)。出社自体が苦にならない距離に住んでいるというのも、頻繁に出社している理由のひとつですね。

仙台・青森と転勤されていかがですか?

東北支社(仙台)はとても温かい方が多い支社です。同じ部署で仲がいいのはもちろん、他部署に入ってきた新人も同じように気にかけてくれます。支社の先輩が皆で若手の面倒をみるのが当たり前の雰囲気なので、東京から新任で入った自分も多くの先輩方に育ててもらいました。青森営業所は、もっと進んで家庭的です。まさに「5人家族」。所長が「お母さん」で、年次が上の先輩は「長男」、僕が「次男」ですね。完全に青森がホームになっています。

支社勤務でのメリット・デメリットを教えてください

青森営業所は少数拠点なので、自分でやる仕事も多いです。TV局や新聞社との折衝はもちろん自分の仕事ですし、アイディアを提案することも多くあります。やらなくてはならないことは確かに多いですが、自分の裁量権が大きいことはメリットでもあります。この仕事はこうやって進めるのだという仕組みを、自分自身の手を動かすことで経験できるのは大きいです。
裁量権が大きいことは、やりたい仕事に挑戦できることでもあります。今進めているのは、名産品であるニンニクを生かした餃子を地元のBリーグチームの公式フードとして開発して、販売する企画。それは、厳密に言えば広告会社の本業とは違うかも知れません。ですが、収益の一部を地元のスポーツ振興に役立ててもらう予定になっていますので、自社の利益を生み出しながら地元貢献にも繋がっています。新事業に挑戦できる自由な環境がここにはあります。

今後どんな挑戦をしていきたいですか?キャリアビジョンを教えてください

僕は、それぞれの地域ならではの色が好きです。大手の飲食チェーンなどが進出してくれるのは歓迎ですが、元々ある個性的な名店がなくなってしまわないようにもしたい。例えば、地元に愛された焼き鳥屋さんが、後継者問題でやむなく店じまいする現実はつくづく残念です。地元の高校生とシャッターが目立つ商店街のコラボ企画を実施したことがあり、そのときに制作したアート作品が今でも商店街に残されていますが、それは子どもたちと地元との一つの絆だと感じています。単年度の仕事だけではなく、都会に出た子どもたちがいつか故郷に帰りたくなる街づくりを手伝いたいですね。

実現に向け電通東日本がどんな会社になってほしいですか?

青森をはじめローカル拠点では、電通東日本ではなく「電通」と呼ばれます。僕たちも、電通クオリティの期待に添えるように最大限の努力をしていますし、どの拠点でもローカルビジネスの最先端を走っていたい。それをサポートしてくれるような会社であって欲しいと思っています。

布川さんが思う「電通だからできること。電通じゃないからできること。」って何だと思いますか?

僕は、仙台で働きたいと思って電通東日本に入りました。今は仙台から青森へと拠点は変わりましたが、電通グループだからこそできる仕事に変わらず取り組んでいます。僕自身は、あまり武器を持っていません。ですが、好奇心と後先考えない(笑)行動力を原動力にして様々な案件に挑戦し、電通だからこそ可能となるパフォーマンスを地域に活かすことができている、これが電通東日本です。

候補者の方に向けてメッセージをお願いします!

僕は青森営業所のBPですが、汐留の㈱電通はじめ、様々な電通グループの会社と協業することもできます。ですが、協力を得るためには工夫が必要。まずは、チーム内にワクワクに火をつけるということが大事ですし、無理がありそうだと思ったら一旦引きます。とはいえ、青森の問題解決は自分の使命。よいきっかけを作り、仲間と一緒に最高の成果を導き出すのが仕事です。地域活性の一兵卒としての役割を僕はとても楽しんでいますし、自己実現の場だと考えています。僕個人としては、意見をはっきりと言ってくれる後輩と一緒に仕事がしたい。失敗することもあると思いますが、それもまた経験の一つ。青森営業所に、新しい家族が増える日を楽しみにしています!

HomeInterviewSHINTARO NUNOKAWA